かこちゃんの取扱説明書 別紙 の本, 新世紀に問う魔拳の道, あるいは叛逆の物語 ver.1.01

E極拳士Cybernetic Fairyが読む『心をつくる―脳が生みだす心の世界余は如何にして言語遣いとなりしか(永久仮題), MAKING UP THE MIND: How the Brain Creates Our Mental World

「知っているのなら、名誉教授だって魔改造Japanizeしてみせる。」

作成年月日
2014年12月13日
更新年月日
2015年1月20日

ありがとう!そして、ありがとう!


誰もが無意識に免罪符を求めて彷徨う、出口の見えない過渡期。これは、そんな時代にまったく関係なく、彼女が彼女に出会う物語。

天に軌道のあるごとく、人間ひとにはそれぞれ自分あなた運命ほしというものがありんす。出会いが星の導きならば、すばらな相手に出会うもまた、星の導きFateにありんす。盛者必滅会者定離しょうじゃひつめつえじゃじょうり。会うは別れの始まりと誰が言うたや。眉と眉のあいだの印堂いんどうお兄さんあなたHey, Mister!、そこがすばらしく輝いているだや。いい愛情に恵まれているBorn under a Lucky Star.やもしれない。いい愛情に恵まれているBorn with a Silver Spoon.やもしれない。しかし、But,月に群雲むらくも、花に風。一寸先いっすんさきおの運命さだめ、わからぬところに人生うきよの哀しさがありんす。サァサァ、お立ち会い!これよりご笑覧しょうらんいただくは、わっちの師匠が大陸五千年MAIN LAND白珪はくけいを磨きあげたる、E極拳君と響きあう拳。本来ならこんなお安いお値段ではお見せできないSilence is Golden.ところ、わっちにも差し迫った事情がありんす。どうだや、浅野内匠頭 SAMURAIみたく腹を切るSEPPUKUつもりで。どうだや、こんないいものが千五百円!うう、ダメかや。なら、千円だや!1,000円!Thousand Master!お代はギフト券の後払いAmazon Gift Cardで結構でありんす。比翼連理ズッ友の誓いだや。E極拳士はどこにでもいる。Cybernetic Fairy is Watching.出典?コードに埋め込んである。探してみろ。Think It Out.この世のすべてをそこに置いてきた。This is Japan.隠形の術るとは……Wall Maria's Got Broken.大したやつだYou're Big Enough.やはり天才かSure is Gifted.

Enjoy life while you can. Nothing's gonna happen for maybe five, ten, fifteen, twenty years. But lemme give you a piece of advice: Whenever the doorbell rings, have somebody else answer the door.
A belated visit for revenge. How callow. Vanish!

第二章 正常な脳が世界について語ること

意識という錯覚

 その当時、若き学究であったヘルマン・ヘルムホルツは、神経伝達の速度を測ることは不可能だと教授にいわれた。速すぎて計測不能だというのだ。しかし、優秀な学生の例にもれず、ヘルムホルツは師のアドバイスを無視した。1852年に彼は神経伝達の速度を計測することに成功し、それが実はかなり遅いことを示した。感覚系のニューロンでは、神経刺激は1メートルを20ミリ秒かけて移動した。ヘルムホルツはまた、「知覚時間」の計測も行なった。彼は被験者の体のいろいろなところに触れ、刺激を感じたらボタンを押すように指示した。その反応時間はさらに遅く、100ミリ秒を超えていた。この観察から、私たちは外界の物を瞬時に知覚しているのではないことがわかる。ヘルムホルツは、脳内でさまざまなプロセスがあって初めて外界の物が心の中に表象されることに気づいたのだった。彼は世界の知覚は直接的ではなく、「無意識の推測」によって行なわれると提唱した。つまり、私たちが対象を知覚するのに先だって、脳はそれが何かを感覚情報をもとに推測しているのである。

言語を読むのも聞くのも「世界の知覚」である。情報とは知識と体験である。これらを用いて、はじめて、「佐々木高政老師予測Anticipation 」が完成する。予測できない知らないものは読めないし、聞こえない。「知っているから、わかる」のだ。大人はN言語の勉強のために新聞やら雑誌やらを読んだりしないでしょ。普通は。普通とは。普通を疑え。Think Outside the Box.

 この実験からわかるのは、人は場面の本質的な特徴は容易に把握するということである。この場合は、「滑走路上の軍用輸送機」だ。しかし、実際はその細部をくまなく心の中に捉えているわけではない。細部の変化を気づかせるためには、こちらから注意を向けてやらねばならない(「ほら、ここのエンジンを見て」というように)。そうしなければ、写真が切り替わる瞬間にたまたまエンジンに注目してない限り、変わった部分に気がつかない。

簡単Simpleなやとりだけなら単純Straightだ。しかし、そこから一歩踏み込んで、「細部の変化に気付いて学習する」ためには、適切な指導、あるいは知識が求められる。斎藤兆史先生は、名物の鑑定士になぞらえて、「良い文章だけを読む訓練」を説いた。そうすることで、おかしな箇所に違和感を覚えられるようになる。なぜか。知らないから。予測が外れたから。

父の告白――非整合的な二つの現実世界

 テレビドラマに出てきそうな告白シーンではある。だがすぐに破局点がやってくる。冒頭のやりとりの次に、「論理的には矛盾しないが、とうてい予測のつかない」非現実的な展開が待ち受けている。普通、観客が予想する台詞は、例えば次のようなめぐり逢いの逸話くらいだろう。
 あるいは本編に近い次のような展開も考えられる。
 もちろん、これではどこにも笑う余地はない。そこを笑いの実演者であり創造者でもある芸人たちは、知ってのことかはわからないが、巧妙に異世界の形成を工夫して状況をパラレル化する。読者もこの先どう展開するか、まず予想をつけてから読んでほしい。

こうした予測は、過去にそうしたコンテンツを「知っているから、できる」のだ。そして、人間は、予測を裏切られると、感情が大きく揺れ動く。喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり。

脳は歪める

 この事例には、脳の好みに合った点が一つある。それは脳が選択を行なうということだ。エイムズの部屋は根本的に曖昧である。三人の普通ではない男たちが四角い部屋にいるのか、それとも普通の男たちが変な形の部屋にいるか、どちらともとれる。私の脳は目の前の場面についてありえない解釈をしているかもしれないが、それは少なくとも可能な解釈の一つなのである。
 「正しい解釈などというものは存在しません」。そう抗議するのは英文学の教授である。ふむ。
 私の議論はこうだ。受け取る証拠が曖昧であっても、正しい解釈が一つもないということにはならない。だがこれに加えて、私たちの脳は曖昧性を知らせないようにはたらき、可能な解釈のなかから一つだけを提示するのである。

言語は曖昧である。脳はそれを隠して、可能な解釈知っていることの中から適当と思われるモノを提示する。老師曰く、「この内容をこの言葉で使って言い始めたらそれが次にどのような言葉を呼び出し、更にそれが……といった表現の可能なSpirit回路Circuitを考えることに頭を向けることである。表現の機微に絶えず目と耳を向けることである。Be Sharp!

脚注

(5) この方面の古典的な研究は1970年代にイギリスの心理学者アンソニー・マーセルによって行われた。マーセルはある単語(例えば「看護師」)を見せると、この単語を見たと人々が意識していない場合でも、それに続く意味の関連した単語(例えば「医師」)の知覚の効率が上がることを示した。この結果はその後の多くの研究で確認されている。

こうした連想はN言語でなら既にできる。それにE言語を重ねていく。「知のネットワーク」を形成するんだや!!あなたが忘れても、あなたの脳は覚えている。


第三章 脳が身体について語ること

コントロールするのは誰か

 この発見は次のことを意味している。脳活動を計測すれば、人が指を立てようという衝動を持とうとしていることを、当人がそうと意識する前に観察者は知ることができるのだ。この結果は心理学の枠を超えて大きな衝撃を与えた。なぜなら、この実験は私たちのごく単純な意志的動作さえもが事前に決定されていることを示すと思われたからだ。私たちが行動を選択していると思っているときには、実は脳のほうは選択を済ませているのである。選択をしているとは、この意味で錯覚にすぎない。

「あ、これは泣くな」ってわかるでしょう。「脳活動の変化の開始による物理的な出来事」を、よく観察して空気を読んで、「相手が心的な出来事として意図を自覚する」よりも早く、その身体に刻んだ技術わざを繰り出すんだや。気を合わせるのです。一秒を切り刻め。

But people in our line of work tend to read a lot. Guys without a good education and a healthy sense of curiosity don't make good soldiers.

脳の中の幽霊

 1980年代までは、脳は16歳を過ぎるころには成熟し、その後は新たな成長はない、というのが神経心理学者たちの常識だった。ニューロンを結び合わせる線維が損傷したら、そのニューロンは断線したままで、一度失ったニューロンは代替がきかないとされていた。今日では、これは誤りであることが知られている。私たちの脳は非常に可塑的な性質をもっている。これは若いときには特に顕著だが、一生の間この性質は発揮される。ニューロンの結合と解除は、環境の変化に応じるべく絶えず起きているのだ。

年齢は関係あるが、関係ない。Pay Respect to the Pioneers.脳を使ってないのが良くない。生きることに慣れてはいけない。毎日Everydayは驚きに満ちている。日々是好日。あるいは教養と教育の欠如。Were You Born in a Barn?生まれは運ゲー。しかし、今日かもしれませんよ?Today could be the Day.

And everything we do, it's all so... New to me. Even the little every-day things... the clam morning air... the scent of laundry detergent... the sun... the sky... the clouds... even the sight of my hands moving like I want them to... None of these were things I had in my hospital bed.

どこに「あなた」はいるのか?

 重要なのは、次の問いだ。もしあなたが脳の損傷などによって「本当に」記憶力を失っていて、ついさっき単語の連想課題を行ったことも思い出せない場合、異なる単語を答えるだろうか?それとも、同じ単語を繰り返すだろうか?
 「回が変われば、違う単語を答えるのは当たり前でしょ?」とここで英文学教授どのがいう。「どの単語を思い浮かべるかは偶然で決まるのよ。「木」という単語一つをとってみても、たくさんの連想関係があるのだから、同じ単語がまた出てくるとは考えられませんね」。
 「みんなそう思うんですよ」と私は気取った口ぶりで応じる。「神経心理学の講義に出席するまではね」。
 この教授の意見が間違っていることは、重度の健忘症のせいで課題をやったことを本当に思い出せない人々の研究から明らかである。こういう人たちは、前に挙げたのと同じ単語を挙げる傾向があるからだ。しかも二度目のほうが反応時間がいくぶん速いこともある。
 これに対し、催眠術の実験では、被験者は単語の連想課題が繰り返されたときには別の単語を答えた。かれらは英文学教授と同じく、前にこの課題をやったという記憶がなければそうなるだろうと思ったし、事実その信念に従って答えたのである(すなわち、別の単語が出てきたのは偶然ではない)。だが、かれらは自分たちがそうした選択を行なっているとは知らなかった。この実験では、当人のあずかり知らぬところで脳は以下のような一連の作業を行なう必要がある。第一に、単語の連想課題を行なうにあたって、「前回と違う単語を答えること」という一般的方略を立てる。第二に、この方略がうまくいくためには、繰り返しを避けるために前回どんな単語を答えたかを記憶せねばならない。第三に、同じ単語を答えようとする誘惑を克服するために、答えを逐一モニターしなければならない。被験者はこれらの方略を無意識にとっていたわけだ。

だから、辞典と事典あついほんは、繰り返し読むだけで効果があるんだや。覚えるんじゃない。脳に教えるんだや!!(10分間しか記憶を保てない復讐者アヴェンジャーは果たして)

I'm going to keep my ears open. My Ghost will whisper.


第四章 予測によって先んじる

脳はどうやって学習するのか

 これまで見た連合学習は、どちらも未来についてのものだった。一方で、私たちはある信号が未来に起きる事態を告げるということを学習する。その一方で、私たちはある行為が未来において何事かを起こすということを学習する。

こう言ったら書いたら、相手がどう返してくるか。予測しましょう。あいてのきもちになってかんがえましょう。Love Your Neighbor as Yourself.和敬静寂。みんなでしあわせになろうよ。せかいへいわ

誤りからどうやって学ぶか

 右で見た細胞の活動は、報酬に反応する信号ではない。それは報酬がすぐ後に来ることを示す信号でもない。この種の細胞の活動は、私たちが報酬の有無について行なう予測の誤りを教えるのである。つまり、ジュースが期待どおりに出てきたなら予測に誤りはなく、ドーパミン神経細胞は信号を発信しない。ジュースが予想しないのに出てきたら、予想以上の報酬が得られるので神経細胞はプラスの信号を発信する。ジュースが出るべきときに出なければ、報酬は予想を下回るので神経細胞はマイナスの信号を発信する。予測の誤りに応じて発されるこうした信号のおかげで、教える者がいなくても世界について学習することが可能になる。世界についての予測が間違っているとき、神経細胞の信号は予測を改善するために何かする必要があることを教えてくれるのである。

電気ショックを伴う言語学習。間違えたらビリビリ。あたまおかしい?「覚える」っていうのはそういうことです。自転車だって、失敗したら身体からだが痛いしつらいけど、成功したら気持ちいいし楽しいから、脳が身体の操作Controlを「覚える」んでしょう。「言霊」や「忌詞」といった習慣Customも同じです。「人を殺す練習」なんてしていたら、うっかり人を殺しかねない。そんなことはかんがえるひつようすらない。一方で思考停止はしない。

脳が描く世界のマップ

 「あなたがいっているのは」と彼女は切り返す。「私の脳のどこかに、私が行った場所が全部描かれていて、私が見たことのあるものを何でも取り出せる指示が書かれたマップがあるというわけね?」
 私は彼女に、たぶんそれがこの学習アルゴリズムの最も優秀な側面だと説明する。そこには一つのマップしかなく、遠い過去から連綿とつながるマップがいくつもあるわけではない。このマップにメモリーはない。それは万華鏡を通して世界を見ているようなものだ。私たちの予測が当たっている限り見える模様は一定である。予測に誤りがあると、万華鏡が揺られて新しい模様が古い模様にとって代わる。このようにして、私たちは行動を常に変化し続ける世界に適応させていくのである。
 「あなたは永劫の現在に封じられているのかもね」と英文学教授はいう。「私の経験はぜんぜん違う。私の心は過去への悔いと未来への希望でいっぱいで、現在の感覚はむしろ希薄です。それに」と彼女は付け加える。「あなたの心は物理世界に埋め込まれているでしょうけど、私の心は文化世界に埋め込まれているの。それは他者の心が創造した世界。もし私が少しでも物理世界を意識しているとしたら、それはそうした世界が私とは別の存在だから。それは私が歩道でつま先をぶつけたときに痛みを与えるモノね」私が何かいい返そうとすると、彼女は「意識の流れ」についての最後の講義をするためにその場を立ち去った。

松樹千年翠Emerald Cityに至るUnknownは、取扱説明書の本紙にある、黄色い本を筆頭とする僅かな厚い本Yellow Brick Roadで舗装されている。N言語で歩いたほうが早いですよ。これ、東洋思想ですし。不立文字。それに、E言語は勉強してるんでしょう?問題は、N言語ですらわからないという読解力。Do You Cry Over Negi Springfield?水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる。難しいことをわかりやすく伝えるにも限度がある。我が国の大学教育とは何だったのか。結論、故曰、経験値の高い奴は強い。知彼知己者、百戦不殆。自己おのれを鍛えて、愛を知れ。Know Thyself.

Those who do not know Love will never be able to obtain true strength.

コントロールしているという感覚

 予測することがよいことだという理由はいくつかある。何が起きるのかを知っていれば、気を楽にもてる。何をしたらいいか、そのつど新たに計画をたて続ける必要がなくなる。計画を変えるのは予想しない出来事が起きたときだけでいい。また、何が起きるのかを知っていれば、自分で状況をコントロールできていると感じられる。

足るを知る者は富む。Content is a Kingdom.必要なだけやればよろしい。Enough is as Good as a Feast.

Seeking nothing, he gains all; Foregoing self, the Universe grows "I":

システムが破綻するとき

 しかし、I・Wは並みの人間ではなかった。何年間も努力して、彼はまた歩けるようになった(明かりがないと転んでしまったが)。また、物体をつまみ上げることも、その物体と自分の手が両方見えているときであればできるようになった。彼は動きを起こす前に、自分の手の位置を視覚によって把握しており、動作を終えたときに手が適切な位置にあるか目で確認せねばならなかった。これは脳が運動をコントロールする通常のやり方とは異なる。
 I・Wが得たコントロールは、自動的にできるものではない。彼は自分の動きについて、常に注意深く考えを巡らせねばならない。自動的な修正は起きない。彼は一連の動作をしている間じゅう、自分の動きをどうコントロールするかを考え続けなければいけないのだ。
 これは私たちの通常のコントロールの感覚とはずいぶん違っている。I・Wにとってこれがどういう感じかを理解するための近似値としては、疲労困憊しているときに無理して身体を動かそうとしている感覚がそれにあたるかもしれない。そんなときは、わずかの動きでも非常な努力が必要である。これはI・Wによる彼自身の経験の描写と重なる。彼は日々の生活はマラソンなのだという。

あの感じです。では、マラソンが終わると、どうなるか。E言語が思考と言動に反映されますいかむすめ。「自分」が変容していく様を、まざまざと観察Watchできます。「眼鏡のまぼろし」を見たり、浴槽からあがって再び身体を洗い始めたり。ボケているのではない。昭和の哲学少女は矍鑠としている。Cybernetic Fairy is Watching.特定の信号Signalに反応して、特定の行動を取るように、脳が調教済Trainedなのです。他にもっと、考えることがあるでしょう?よくしこまれている。こうしてN言語でコンテンツを作成していても、E言語の影響がそこかしこに垣間見えます。よく、「観察」してください。「文彩」からE言語が覗いていませんか。「教養と教育」と「今日」みたいに、対にして韻を踏むところとか。良い文章だけを読みすぎました。

There's one thing that always worries me when I wake up. Does my body still work? Is everything still there? Oh, Good. It still moves. It's so wonderful to have a body that does what I want it to.

また、いわゆる論理的Critical思考力Thinkingに、飛躍的な向上が認められます。物事の仕組みや、人間ヒトの感情と理屈の、「本質」Frameを、どうなっているのか、瞬間的に、極めてロジカルに、視技みぬくことが可能になりました。ごく最近のことです。以前は考えもしなかった。脳を鍛えすぎた。飛沫Showerの一粒一粒がキレイCrystal Clearに見える。戦場では考えるのを止めた奴から死ぬ。蓄積された戦闘経験に裏打ちされた、どんな局面からでも勝利への最適解を見い出せる洞察力。愛してやまないコンテンツですら、その構成に潜む制作Sideの意図を察せずにはいられない。自分はなぜおもしろいと思っているのか、常に種明かしをされている感じ。研ぎ澄まされた五感Sharp SensesもってMake第六感Sixthとなす。一華開五葉。

You can't do anything if you let fear get the better of you. What's important in any situation is to have enough trust in yourself to take risks and throw yourself into an uncertain future—to take that one internal leap. In other words, "a little bit of courage."

E言語を使う自分がもうひとりいるのではありません。「わたし」は自らの意思をもって、「わたしの脳」を世界に適応させたのです。そして、「自分」という自我Egoを脳から引き剥がした瞬間、その奇跡に対する感謝が芽生え、それは全てに広がり、「わたし」は宇宙と一体になった。星が綺麗ですね。人人悉道器。Hitch Your Wagon to the Stars.具体的には、前述の能力心眼(真)により、今の「満足して幸せなわたし」が、「どうしてこうなれた」のか、「だれ(なん)Who & Whatのおかげ」なのか、パタパタと音を立てて特定されていったのです。すると、今まできらいだったりいやだったりした思い出すらも、「すべて血肉となったのだ」という理屈で心が穏やかになる。モノゴトをどう考えれば(考えるのはわたし)、わたしの脳が、わたしにとって不快な電気信号を発さないか、知っている。脳を制御Brain Controlしているの。アタマを丸め込むの。花開萬国春。奈良七重七堂伽藍八重ざくら。

I'll go on ahead. You all take your time and come when you're ready. Later than your elders, but earlier than the children. Okay?

脚注

(10) 彼女はウィリアム・ジェームズが赤ちゃんの内面生活を描写しようとしたところ――がやがやしたにぎやかな混沌――から講義を始めウィリアムの弟であるヘンリー・ジェイムズが登場人物の思考や感覚を描写することで人物造形を試みたという話にもっていき、ヴァージニア・ウルフの『The Waves』という小説では現実は登場人物それぞれの知覚する世界と等しくなるというところで講義を結ぶのだという。しかしこれは一種の逆説を生むことになる。なぜならこの小説の登場人物は主観的で隔絶された世界に存在しているのだが、読者はかれら全部の内面に深く関わることになるからだ。

「良かれと思ってやったのに怒られた」に代表される、日々の些細なすれ違い。どこにでもある悲劇。同じ物理世界で起きる同じ出来事が、それぞれの個体には、くも異なってみえるものか。創作物Fictionにおいても、大抵の場合、我々はすべての登場人物の内面的思考Mental Worldを直接的には知り得ない。なぜか。そのほうが現実Realに近いから。読者に見えていた世界は、登場人物それぞれにとって、どんな世界だったのか。徐々に解体していく。心外無別法。


第五章 私たちが知覚する世界とは現実と対応した幻想である

情報理論の問題

 情報理論が示した方式の問題点は、見る者についての配慮をしていないということである。この方式ではあらゆる観察者は等質で、刺激をどう受け取るかも同じとされている。しかし受け取り方は見る者によって違うのが当然だ。一人ひとり過去の経験も違えば予測の立て方も違う。この違いが私たちがものを知覚するときに影響するのである。
 例えば図5・4の黒い正方形について考えてみよう。ある人たちにとってはこれはただの正方形ではない。それはカジミール・マレーヴィチによって1913年に展示された「黒の正方形」という作品である。この絵画はロシアのシュプレマティストと呼ばれる者たちによる観念的な無対象芸術の最初の作品例だ。この例では、これが重要な芸術作品であるという知識があれば、この物体が持つ情報量は変わらなくても対象の知覚は変化する。これは予備知識がいかに人の知覚に影響するかを示す端的な例である。

要するに、E言語を含む、ありとあらゆるコンテンツを(より)楽しむためには、予備知識Knowledgeがいるのです。そして、より多くの娯楽Cultureを理解してエンジョイEnjoyするためには、「学がある」ことEducationが必須です。これが大学の一般教養Humanitiesです。遊ぶ場所ところでも時間ときでもありません。遠い過去から連綿と語り継がれた文化と伝統Universal Historyを受け継ぎ、未来Childrenに繋ぐのです。個体単位では、「学ぶ楽しみ」、是即ち、「これからの長い人生」How to Live a Long Life目覚めるWake Upための期間じかんです。その先、良きGood伴侶Partnerがいるにこしたことはありませんが、必須Mustとは限りません。この高度情報化社会In This Day and Ageにおいて、良きGood理解者Partnerとは、ネットの海で繋がれKokoro Connectます。子を為す以外にも、あなたが存在した証明あかしをどこかに刻み込めるのです。そう、あなたがわたしを記憶しておぼえているように。それこそが人類ひとであり、人間ヒトと動物との決定的な差です。Hope Springs Eternal.

University education should therefore be regarded as a privilege for special ability, and those who possess the skill but no money should be maintained at the public expense during their course. No one should be admitted unless he satisfies the tests of ability, and no one should be allowed to remain unless he satisfies the authorities that he is using his time to advantage. The idea of the university as a place of leisure where rich young men loaf for three or four years is dying, but, like Charles II, it is an unconscionable time about it.

れられるモノを欲しているうちは、あなたは脳の檻に囚らわれてSlaveいます。あらゆる欲望すらも、電気信号に過ぎません。「わたし」は、必要もなく、「欲しい煩悩」という信号を、脳に出力させたりしません。行雲流水。脳の主人Masterは「わたし」です。あなたが「欲しい」と思うものを、わたしは思わないBut Love。瑞巌主人公。

Think well, thou too wilt find that Space is but a mode of our human Sense, so likewise Time; there is no Space and no Time: WE are—we know not what;—light-sparkles floating in the ether of Deity!

そんな未来はウソである?Such a Tomorrow is Hopeless?慧眼哉Sweet!言語もネットもまた、Sound and Seven Seas Is Still,物理世界を奏でる技術のひとつに過ぎない。All and Only One Instrument.しかし、それは現代皇紀2700年において、欠かせないモノです。本来無一物。そしてまた、現実Realに勝る「体験」Experienceはありません。誰だって、実際に会ったことのある知っている他人ひとに、より強いStrong想いを抱きます。なぜか。そのほうが脳に与える情報印象多いDeepからです。彼らは合理的です。Blood is Thicker than Water.まず、「握手」とかいう習慣Skillを考えた個体やつは頭がいい。物理的に手をHand繋いで+振っているShakeぶん、情報量が多いEasy to Know東京ドームシティでヒーローEireiと握手したくないです?冗談Jokeから始めるのも、場を和ませてMake It Smile、(しばしば一方的な)敵対者に対し、「友好的である」ことを示してIt's You Who Make Me Your Enemy.世界を平和にする技術Skill of Making Friendsです。喫茶去。彼らの文化は驚異的な侵略性を備えています。Armed with World Peace一度使えるようになってしまうと、そっちのほうが楽なのです。だって、「言わなければ、伝わらない」How Do I Get Close To You?でしょう。空気を読む?Mind Reading?どこの達人ですか。What an Oriental Mystery!いまこの文章を、どこの国のブラウザBrowserでお読みですか?我々の国には、どこの国の基地Baseがありますか?いつまでもミステリでいられると思うなよ。As Existing in a Universal HERE, an Everlasting Now?

My God—he writes about Earthlings all the time, and they're all Americans. Practically nobody on Earth is an American.

ネットN言語リアルE言語いう二元的な考え方がもう死んでるOut.遅れてる。Behind the Times.間にあわない。Damage is Done.二千年前に通過した場所Re-Inventing the Wheelですよ。ここは両儀式True Eyesでいきましょう。在るのはただ漂う世界Floating Worldのみ。両忘。この20年であらゆるものが電子Online化しました。ネットNetといえばネットあみしかなかった時代を、アマゾンAmazonといえばアマゾンねったいうりんしかなかった時代を、アップルAppleといえばアップルりんごしかなかった時代を、「わたし」は憶えています。携帯電話もありませんでした。本屋さんはもっとたくさんありました。情報技術の急激な発達Information Technology が、我々の日常地球飲み込みつつありますGlobal Standardこの流れFloodは止まりません。いまこの瞬間も加速しています。それを牽引Head Upしているのは、世界的な富裕層Powerと、世界的な頭脳Brainと、世界的な貧困Povertyです。貧富の二極化が進み、格差の固定化が進みます。数が多いというのは普通Commonです。数が少ないというのは珍奇Rareです。普通Ordinaryとはみんなと同じことです。珍奇Uniqueとはみんなとは異なるということです。そして、古今の東西を問わずAlways Everywhere、(教養があるとは限らない)お金持ちは、愚かな大衆自身にも理解できるように、庶民とは異なるモノに価値Something Different than Base Metalを見出し、身に付けたり乗り回したりします。Show Offこれがこなた希少価値Brandです。この国じゃみんなTOYOTAガイシャなのかよ。グレート。そして、本当の富裕層に生まれた個体は、「自分が買っているモノの値段」を知りません。知る必要がない。考える必要がない。変える必要がない。There is No Need for Them to Change their World.カタチあるものSomething Tangible」は富裕層の象徴Symbolになります。貧困層は「カタチなきもの」でしか人生を楽しめない。Please Enjoy Your Life!これは世界的な流れです。歴史です。逆らうことはできません。自分が不利になる投票をする人は極めて少ないからです。よって、脱出先などありません。You Can't Run Away From Angra Mainyu.我らが安住の地はOur Last Resort is日出ずる処NIPPON.です。

Our doings are not so important as we naturally suppose; our successes and failures do not after all matter very much. Even great sorrows can be survived; troubles which seem as if they must put an end to happiness for life, fade with the lapse of time until it becomes almost impossible to remember their poignancy. But over and above these self-centered considerations is the fact that one’s ego is no very large part of the world. The man who can center his thoughts and hopes upon something transcending self can find a certain peace in the ordinary troubles of life which is impossible to the pure egoist.

理想のベイジアン・オブザーバー

 ベイズの定理の重要性は、新しい証拠が提示されたときに人が世界に対する考えをどれほど変えることになるかを正確に測定することができる点にある。ベイズの定理は新しい証拠を適切に利用しているかどうかを判断する基準を与えてくれる。これは理想のベイジアン・オブザーバーという概念につながる。それは考えうる最善の方法で証拠を常に活用する神話的存在のことである。先ほど乳ガンの例で見たように、めったにない出来事や大きな数字について考えるとき私たちは証拠をうまく利用できない。心理学者たちは学生はおろか続計学や論理学の研究者たちでもコロッと間違えるような難問を考え出すことを楽しみとし、それで利益を得てきた。この種の問題について考えるときには私たちは「理想のオブザーバー」ではなくなるが、脳は大きな数字やまれな出来事に対処する場合でも誤解しないという証拠は数多く得られている。人の脳は感覚から得られた証拠を利用するときには理想のオブザーバーなのである。
 例えば、脳が解決しなければならないことの一つに、異なる感覚器官から得られた証拠をどのように統合するかという問題がある。人が話すのを聞いているときであれば、脳は視覚からの証拠(唇が動く光景)と聴覚からの証拠(その人の声)とを統合する。ものを拾い上げるときには視覚からの証拠(その物体の見ため)と、触覚からの証拠(その物体の感触)とを統合する。このように証拠を統合するとき、人の脳はまさに理想のベイジアン・オブザーバーとして機能する。弱い証拠は無視され、強い証拠は強化される。にぎやかなパーティー会場で英文学教授に話をしているときには、気がつくと彼女の口の動きをじっと見つめているのだが、それはこの場では目から入ってくる証拠のほうが耳から入る証拠よりも確かだからである。

龍脈のない発話、それも書き言葉の読み上げを、なんの予備知識もなく、視覚情報にも頼らず、正確に聴き取る練習?知らない組み合わせがてんこもりLarded with Unknownかもしれないのに?そんな限られた状況は試験でしかない。Such a Tomorrow is Hopeless.濃尾無双ばりにLike a Paper Tiger;あいまいみー。I, My, Me.

Prejudice, which he pretends to hate, is his absolute lawgiver; mere use-and-wont everywhere leads him by the nose; thus let but a Rising of the Sun, let but a Creation of the World happen twice, and it ceases to be marvellous, to be noteworthy, or noticeable.

この部屋にはサイがいる

 ここで英文学教授は少し困惑したようすである。「この部屋にはサイなんていませんよ」。
 「あれが見えないんですか?」と私は答えてみる。「あなたはただ先立つ信念が弱いだけなんですよ」。

 脳の中では、知覚は先行する信念に依存している。それは写真やテレビに映像を映し出すような線形のプロセスとは異なるものなのだ。脳にとって、知覚とはループである。仮に知覚が線形的なものであるとすれば、光や音波の形をしたエネルギーが感覚に作用すると、こうした外部世界に関する手がかりは脳によってなんらかの方法で変換・分類されて、その結果空間内で一定の位置を占めた対象として受け取られることになる。第一世代のコンピュータにとって知覚のあつかいが難しかったのはこのアプローチがとられたためである。予測を利用するときの脳はこれとほぼ正反対のはたらきをしている。あるものを知覚するとき、それは実は脳の内部から始まっているのだ。そのプロセスの始点となるのは先行する信念、すなわち空間内に一定の位置を占めた対象が収まっている世界モデルである。脳はこのモデルを使って自分の目や耳が受け取っている信号が何なのか予測する。こうした予測は実際の信号と比較される。そのさいには当然エラーが出る。脳はこうしたエラーを喜んで受け入れる。エラーは脳に知覚の仕方を教える。エラーによって脳に今ある世界モデルが十分なものではないとわかる。エラーの性質が世界モデルをより良いものにする手助けをするというわけだ。このループを何度も回るうちにエラーは小さくなっていき、気にかけなくてもよいくらいになる。たいていは二、三周回れば十分なので、脳内で要する時間は1OOミリ秒程度のものだろう。
 このようにして外部世界のモデルを構築するシステムでは、より良いモデルを作るために使えるならばどんな情報でも利用する。情報を伝えてくれるものなら視覚でも聴覚でも触覚でも優先順位はないのである。
またこのシステムは、世界に何らかのはたらきかけをしたときにそれぞれの感覚から入ってくる信号がどのように変化するかも予測する。つまり、ワインの入ったグラスを見れば脳はすでにそのグラスの感触やワインの味を予測しているのだ。赤ワインのグラスを取って飲んでみたら冷たくて甘かったというときのショックと戦慄を考えてみればわかるだろう。

E極拳士は手段を選ばない。Cybernetic Fairy is Watching.精神一到何事か成らざらん。Sky's No Limit.

予備知識はどこからくるのか?

 しかし知覚が脳内にある予備知識から始まるループだとしたら、その知識はどこからやってくるのだろうか?私達は鶏が先か卵が先かという問題にはまってしまったのか?あるものを知覚するにはあらかじめそれについて何かしら知っていなければ無理だが、知覚するより前にそれについては何も知りえないのだから。

予備知識がなければ、読んだり聞いたりできない。予備知識を得るためには、「大量に」読んだり聞いたりしなければならない。我々は円環の理Law of Cyclesに捕らわれてしまったのか。否!断じて否!前提を疑え。Cogito Cogito, Ergo Cogito Sum.モノゴトを効率的に進めるっていうのは、試行錯誤を自分より優秀な複数の個体Networkにお任せして、成果のうち、論文と辞典自分がコレだと思うモノだけを、試行錯誤して、これまでのシステム自分有機的に組み落とし込んでいくってことです。大学に、研究に、学問の徒Red & Blue Bricksに、身体で生きてる存在Creatorsに、敬意Money払えPay。「お勉強がお好きなのね」だと?彼らは星を継ぐものInherit the Starsなんだよ。桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる。

The man who loses his life in the defense of his country is not blamed if thereby his wife and children are left penniless. The man who is engaged in experiments with a view to some great scientific discovery or invention is not blamed afterwards for the poverty that he has made his family endure, provided that his efforts are crowned with ultimate success. If, however, he never succeeds in making the discovery or the invention that he was attempting, public opinion condemns him as a crank, which seems unfair, since no one in such an enterprise can be Sure of success in advance.

出典:国立社会保障・人口問題研究所ホームページ(http://www.ipss.go.jp/)

履歴書に性別とか年齢とか全学歴とかを書くのって「酷い差別」あんたバカァ?ですよね。四苦(生・老・病・死)の第一を以て、一顧だにせずとな。ほう、聖なる学び舎では、ろくに教えも学びもせず、新卒一括採用はするくせに、終身雇用はしないとな。くわえて離職期間にもうるさいときた。いいですよ。Good.そっちSystemがそのつもりなら、こっちSmartにも考えがあります。適当に学位だけ貰って、アビリティとE極拳を組み合わせるから。そっちの方がいいGood仕事なんてやってれば覚えます。But Black & Blue Brainこうして優秀な個体Right StuffとはENがなくなる。我々の素晴らしい文化が亡国への道標Our Wonderful Culture Calls Charon.おかっぱ頭を叩いてみれば、Shake Your Head, then文明開化の音がする。Sakura Shiru.

一心独立して、一国独立す。私は初めからそう考えて行動してきたつもりです。茅葺政権はこれまで通り、米帝、米露連合、中国、そしてアジア、EU両諸国とも同様の距離を保ったまま、独自の判断で動く、国連協調路線を模索していくつもりです。
しっかりとした考えの基に行動していましたね。だが、取り巻きが悪かった。頭が立派でも、手足が悪ければ、ダメですね。
True. A traitor to a friend, traitor to Jupiter, and now a dog of Nergal.

 人の脳は知覚に必要な予備知識をどうやって獲得するのだろうか?その一部は数百万年にわたる長い進化を通じて脳内に生物学的に組み込まれたものだ。例えばある種のサルでは、眼のニューロンに備わっている色彩に対する敬感さは生息環境内にある果物を発見するのに最適なものになっている。進化の過程で熟した果実の色を見分けるための先行仮説が脳に組み込まれたのである。人の脳は生後ニ、三か月の間に視覚経験によって配線ができ上がる。私たちの世界には、ほとんど不変であるために強固な先行仮説となる事実がいくつか存在する。例えば、物体を見ることができるのは光がその物体の表面で反射して目に入ってくるときだけだ。この光は同時に影も創り出し、その物体の形を知る手がかりとなる。何百万年もの間、この世界 で光源といえばひとつしかなかった――太陽である。そして太陽の光は常に上から降ってくる。

時代が斎藤秀三郎老師2号「イディオモロジー」Idiomologyに追いつきました。同じ人間ヒトである以上、彼らとはわかりあえる。木星蜥蜴でわない。また、身体操作に直結した言い回しは、場面をキチンと演じ想像してみること。これだけで自然な発話にかなり近づく。文化の違い?そんなもの、先に知っておいて、何回かやらかして、考えれば、覚えますよ。応用するんだ。致命的な失敗Miss起こすTake前に、よく観察して、よく考えて、ちゃんと行動想像しろ。むしろ、最後に立ちはだかるラスボスは、自身のN言語への無理解。N言語で何をしているのか、考えるんだ。部分的にでも、解体して、組み立てるんだ。単語とは、漢字である。句動詞とは、大和言葉である。近距離型とは単語の距離が近い、威力がデカくてストレート。プラチナむかつく乱れ雪月花。やれやれだぜE極拳君と響きあう拳で、世界THE WORLDをぶちこわせ。

No matter how strong the armor you don, the weaknesses in your heart are always be exposed!

知覚しているのは実際の世界ではなく脳内の世界モデルである

 私が知覚しているのは、外の世界から目や耳や指に入ってくる粗雑で曖昧な手がかりではない。私が知覚しているのはもっと豊かな世界だ――それはこうした粗雑な信号が過去の経験という財産と結合してできた一幅の絵のようなものである。知覚とは外の世界に何があるのかを予測することである。そしてこの予測は常に行動によって検証される。
 どんなシステムでもそれぞれ特徴的なエラーを起こす。幸運なことにこれらのエラーは非常に多くの情報を含んでいる。エラーはシステムが学習するために重要なだけでなく、システムがどのように作動するかを知ろうと観察するときにも重要である。エラーはそれがどのような種類のシステムか知るための手がかりとなる。では予測にもとづいて機能するシステムから出てくるエラーとはどんなもののだろうか?この種のシステムでは、曖昧さがあるときには必ず問題が起きる。例えばまったく異なる外部世界の二種類の対象が同じ感覚を引き起こすときなどだ。この問題についてはあるモデルが他よりも可能性が高いために解決することが多い。部屋にサイがいる可能性は極めて低いので、「いた」と感じたとしてもその可能性は却下できる。これは他方では、可能性の低いほうの状況が正しいときにはシステムのほうがだまされてしまうということでもある。心理学者たちが愛してやまない多くの錯視が不思議な感覚を起こすのは、この手で脳をだましているからだ。

想像の世界は退屈の極み

 もし仮にネッカーの立方体を見たことがなく、一つの形から別の形へと反転する性質を知らない素朴な人がいたらどうなるだろうか?彼には図が反転して見えない程度の短い間この図を見てもらう。それからその図を想像してもらう。想像の中で図を詳しく見たときに反転は起きるだろうか?私はネッカーの立方体は想像の中では反転しないことを発見した。この種の想像には独創性のかけらもない。そこには予測もエラーもないのだ。頭の中だけでは創造はできない。人はスケッチやいたずら書きやラフな下絵といった形で自分の考えを外在化することで創造性を発揮する。そうすることで現実がもつ意外性の恩恵を生かすことができる。現実世界と関わることが楽しいのは、この絶え間ない意外性があればこそなのだ。


第六章 脳はどうやって心をモデル化するか

模倣――他者の目的を理解する

 次の課題はかなり無理を承知のものである。テーブルの真ん中に大きなボタンがひとつある。私は頭を下げておでこでそのボタンを押す。子供はどうするだろうか?私はなぜ頭でボタンを押す必要があるのか?――これは子供にも疑問だろう。実際には子供の次の行動は、私の手がどうなっているかによる。もし私が寒いといって肩にかけたショールをつかんでいて明らかに手が使えない状態であれば、その子は自分の手を使ってボタンを押すだろう。私の目的はボタンを押すことであり、他のことで手がふさがってなければ手を使っただろうと考えるからだ。もし私の手がボタンの両脇に置かれて明らかに自由に動作のできる状態であれば、子供はボタンを頭で押すだろう。この場合には、私の目的は頭を使ってボタンを押すことに違いないと考えるのである。
 他者を模倣するにはその人の動きを注意深く観察しなければならないが、動きそのものをこと細かに真似する必要はない。私たちは目に見える動きからその人の心の中にあるもの、すなわち動きの目的を発見する。そして同じ目的を達成する動きを行なうことで他者の模倣をする。

以下要点。あとあと書きます。目的は相手に正しく伝えることであって、対訳をいちいち意識しない。ネイティブの世界に日本語など存在しない。それは翻訳や通訳。必要があればよろしい。かといって、わかりもしないものを、すべてE言語で処理しようともしない。適材適所。自分がモノにしたE言語で、自分の言葉を紡ぎましょう。なにが正しいのか、決めるのはあなただ。模倣するために、言うまでもなく、絶対的な基礎が必要。冠詞とか複数形とか情報構造とか、そのへんから表現の自由さまで。英検1級なんてサッサと合格しましょう。模倣できるようになれば、出会った表現をすぐに使えるようになる。そのためには文法が必須。

共感

 どうしてこのようなことが起きるのか?あなたが感じていることを、私はどうやって経験しているのだろうか?この問いに答えるためには、共感が起こっているときに脳のどの領域が活動するかをより精密に見ればよい。これまで見たように、脳のある領域の活動は痛みの物理的な側面と関係している。例えば棒がどれくらい熱いのか、それが身体のどこに触れているのかなどだ。これらの領域は、他の誰かが痛みを感じているとわかっているときでも活性化しない。一方、その隣の領域の活動は痛みの心的経験に関係している。こちらの領域は他者の痛みに対しても反応するのである。つまり私たちが共有できるのは痛みの心的経験であり、物理的面ではない。これらの脳領域は痛みを予測したとき、つまり音を聞いた五秒後に熱した棒が触れると知っているときなどにも活性化する。自分が感じる痛みを予測できるなら、他人の痛みを予測するのは難しいことだろうか?もちろん、私たちは他者が受け取る物理的感覚を経験することはできない。しかしそうした刺激にもとづいた心的世界のモデルを構築することはできる。私たちが心的世界の経験を共有できるのは、物理世界の心的経験のモデルを作り出すことができるからなのだ。

文学少女は悲しむだろうね。Cybernetic Fairy is Watching.

自分以外の動作主体という幻覚

 私が脳神経科学者になろうと思ったきっかけの一つは、統合失調症の問題を理解したいというものだった。この問題の鍵は脳のメカニズムにあると私は確信している。私たちは脳のはたらきによって心的世界のモデルを構築し、そのモデルを利用して人のしようとすることを予測するからだ。とはいえ、統合失調症の場合、どんな不具合が起きているのか確かなことはまだわからないのだが。
 別に驚くほどのことじゃないわね」と英文学教授はいう。「健常な脳についてだって、何が起きているか、それほどわかってないんでしょう」。

「わたし」がこの本を読もうと思ったきっかけのひとつは、自己の変容の問題を理解したいというものだった。この問題の鍵は言語が脳に与える影響Key to the Pandora's Boxにあると電子の大和撫子は確信している。Cybernetic Fairy is Watching.


第七章 心を共有する――脳はいかにして文化を創造するか

翻訳における問題

 私たちの脳が成し遂げた最高の偉業は、心と心の間にコミュニケーションを成り立たせたことに尽きる。この本を書く日的だって、私の心の中にある考えをあなたの心の中へと伝えることにあるのだ。かの英文学授は言葉を使ってどのように想像の世界が創られ、それが伝えられているかを研究することに人生を捧げている。もっと現実的な人たちは、コミュニケーションのための製品を設計して生産することで金もうけをする。本だけでなく、携帯電話やインターネットはその端的な現われだ。心から心へと考えを伝えることは、もはや強迫観念といってもいいほど生存に不可欠なことに思える。しかし一人ひとりの人間の心が他者と交わりのない自分だけの世界なら、こうしたコミュニケーションのプロセスは成立しないのではないだろうか?

いちいち翻訳しないとこの良さがわからないなんて、大変Sorryですね。わたしたちなんて、翻訳どころか、取り込んじゃったよ。(もうちょっと真面目に書きます。どうも、苦労して英語を学んで、それでもまだ対等に立てないとか欧米の価値観に洗脳されてる人が多いので。国語の授業で何をしていていたのか。あれか。戦争に負けたのが悪いのか。なぜ負けた。なぜ始めた。なぜ学ばなかった。人類には早すぎたんだ。)

駒とめて袖うちはらふかげもなし 佐野のわたりの雪の夕暮
 「そのとおりよ」と英文学教授はいう。「私たちにあるのはテキストだけ」。
 しかしこの議論は二人の人間が会話をしているときにもそのまま当てはまる。私の心の中に何らかの考えがあって、それをあなたに伝えたいとする。私はそれを言葉という形に変換して伝える。あなたは私の言葉を耳で聞き、心の中でひとつの考えとして変換しなおす。しかし、あなたの心の中にある考えが私の心の中にあるものと同じであると知る方法はあるだろうか?あなたが私の心の中に入ってお互いの考えを直接比較することはできない。ならばコミュニケーションなど不可能だ。
 しかしいまこの瞬間ですら、私たちは意味という問題について活発なやりとりをしているではないか。私たちの脳はコミュニケーションという不可能問題を解決しているのだ。

意味と目的

 言葉と意味という問題は、動作と目的という問題をより複雑な形にしたものである。ある動作を見ると、人はそこに意図を読みとる。英文学教授が手を振るのを見れば、彼女が私を呼んでいるのか立ち去れといっているのか読みとる。私は彼女の動作を目的をもった行為として見ている。しかし動作とは曖昧なものだ。いくつもの異なる目的が同一の動作につながることもある。前章でも述べたように、西へ向かって歩く人に出会っても彼がパン屋へ行くのかパタゴニアまで歩いて行くのかを判別することはできない。言葉と意味との関係もこれと同様の曖昧さをもっている。同じ一つの言葉が異なる意味をもつこともある。「ピーターは読書家です」といえばピーターという人物を素直に評した言葉かと思われるのだが、そのあとに「シェイクスピアのことだって聞いたことがあるくらいだから」という文が続けば、英文学教授が皮肉をいっているのだとわかる。彼女はピーターがろくに本を読まないといっているのだ。

逆問題の解をもとめる

 私たちが言葉を聞くときに解決が求められるのも、同じく逆問題である。多くの異なる意味から同一の言葉が発せられるからだ。ではどうやって最良の解――もっとも正解に近い意味を選びとればいいのだろうか?
 ここで鍵となるのは、この問題は私たちの脳が物理世界を知覚するためにはるか昔に解決した問題と同じだということである。私たちの五感に触れる信号の意味(この場合、感覚が生じる原因)も、同じくらい曖昧なものだ。この世に存在する多様な物体は同一の感覚信号を起こしうる。二次元では複雑な線のパターンに見えるものが、三次元では単純な立方体になるのと同じだ(図5・10)。これまで見てきたように、人の脳は世界についての推察を使って、世界にはたらきかけると次に何が起きるかを予測することでこの問題を解決している。私たちは予測の誤りから推察を洗練していき、外の世界の物事の適正なモデル化を得ていく。これと同じく、私たちは(というより私たちの脳は)他者の目的を推察して次の行動を予測する。コミュニケーションの場合も、私たちは人が何を伝えようとしているのかを推察し、次にいう言葉を予測するのだ。

話すだけがコミュニケーションではない

 他者が次に何をするか予測することは、どのようにコミュニケーションの問題を解決するのだろうか?私の推察や予測がどんなにうまくできても、どれほどに自分をあなたに近づけることができても、お互いの心の中にある意味を直接比べることは不可能だ。では二人の考えが同じかどうか、どうすればチェックできるだろうか?
 ここで思い出してほしいのは、心の問題において特別なものは何もないということだ。庭に生えた木を見るとき、その木が心の中に生えているわけではない。心の中にあるのは脳が作った木のモデル(あるいは表象)だ。このモデルは推察と予測を繰り返して組み立てられている。これと同じように、私が何かをあなたに伝えようとするときも、あなたの考えそのものは私の心の中にはないが、私の脳は推察と予測を通じてあなたの考えのモデル(=表象)を私の心の中に作り上げる。結果、私の心の中には(1)私の考えと(2)あなたの考えのモデルの二つが存在することになる。この二つについては直接比較ができる。両者が似たものであれば、私は自分の考えをうまく伝えられたといえる。違っていれば、うまく伝わらなかったことになる。
 コミュニケーションが失敗したことは、相手が次に何をするかの予測が外れたときにわかる。しかしこのプロセスはそれだけでは終わらない。コミュニケーションが失敗したとわかればやり方を変えることができる。どのようにコミュニケーションの仕方を変えればよいかヒントを得ることもできる。自分の考えと相手の考えのモデルを比べて、両者が違っていたとしよう。これは予測の誤りである。しかし失敗の本質を検分することもできる。自分の考えと相手の考えのモデルの相違点は正確には何だろうか?予測の誤りの本質がわかれば、どのポイントを強調すべきでどのポイントが重要でないのか、というようにコミュニケーションの方法の変え方がわかる。言葉を選ぶときには伝えたい意味に合ったものを選ぶだけでなく、話す相手に合った言葉を選ばなくてはならない。話を重ねるほど、どんな言葉がふさわしいかよくわかるようになる。それは自分が知覚する周りの世界が目をこらすほどはっきりするのと同じである。

フォーク・ハンドルズ――二人のロニーが(ゆるゆる)輪を閉じる

金物屋にて。ロニー・コーベットがカウンターの中でお店のジャケットを着て立っている。お客の相手を終えるところ。
(ぴちぴちの服と子供用帽子を身につけたロニー・バーカーが店に入ってくる)
(ロニー・コーベットは箱からろうそくを四本取リ出す。カウンターの上に置く)
(ロニー・コーベットはろうそくを押しやってクマデの柄を取りに行く。それをカウンターに置く)
(ロニー・コーベットはフロのゴム枠を箱から出してカウンターに置く)
(以下、これが延々と続く)

『蒟蒻問答』のなかのパラレル・ワールド

 もう一つの先例は古典落語の名作で、柳家小さんの名演が映像DVDに残されている『蒟蒻問答』である。この落語は1672年ごろに出た『一休関東囃』にも類話のある古いものだが、知らない読者のために、林家正蔵のテキストから、話をかいつまんで説明しておこう。
 江戸を飛び出した男が上州安中で蒟蒻屋六兵衛の世話になり、近隣の寺のにわか和尚におさまる。そこに永平寺の僧侶が問答をけしかけてくる。問答とは仏教の教義を問うもので、素人の男に相手役が務まるはずはない。夜逃げしようと思案しているところへ、蒟蒻屋の六兵衛がやってきて自分に任せろと言う。翌日問題の僧がやってくると、六兵衛は何を聞かれても沈黙を守る。うかつなことを言うとにせ和尚だとばれるからだ。これに対して僧は、六兵衛が無言の修行中だと勘違いし、身振り手振りを使って問答を続けようとする。
 こうして、僧侶は「当寺の大和尚はまことに博学多識、拙僧の及ぶところでございません」と言って平伏し立ち去ってしまう、という話。仏教の話なのでいまひとつわからないところもあるだろうが、素人の六兵衛の台詞は彼の口から語られたものではなく、僧侶が相手のしぐさを見て勝手に想像したものにすぎない。引用部分は仏道の観点から構成された「P世界1」を構成する。これだけだとなぜ僧侶が退散したのか不明だし、そもそも六兵衛にこのような応酬ができると考えることはできない。この落語の笑いどころは、同一の身振りを蒟蒻屋の立場から再構成して見せる後日談のところだ(台詞はすべて六兵衛の語り)。
 時間的には前後するが、先に示した禅僧の「P世界1」とこちらの蒟蒻屋の「P世界2」は、同一のしぐさを媒介にして見事な対照世界を形成する。まるで花瓶だか人影だかわからない反転図形のように、どちらの言い分も優劣なく対等にリアリティーを主張している。ただ禅僧の言葉はいまでは耳慣れないものとなっているため、現在の観客にとっては理解不能の専門用語を聞いているに等しい。それにもかかわらず、いまでも一部の愛好家を楽しませることができるのは、噺家の優れた演技のために禅僧の訳のわからない言説が、意味不明のままでも説得力をもつからだ。パラレル・ワールドの生成には、両者が同等の説得力をもって立ち現れなければならない。その説得力は観客の生きる環境、世代そして芸人の演技力によって当然違ってくるのである。

 シナリオにしてみると容易にわかることだが、いずれかが主語をはっきりさせていれば誤解はすぐに氷解する性質のものだ。さほど根の深いものではない。だが観客のほうはいつ会話がかみ合うのか固呼をのんで待ちながらも、祖父とイヌの二つの解釈が両立しつづけることを楽しんでさえいる。この緊張をはらんだ宙吊り状態のひとときはコントの醍醐味の一つでもある。

笑っている場合でわない。これは言語というコミュニケーションの手段として、どちらのほうが「誤解が少ないか」「わかりやすいか」「使いやすいか」「生き残りやすいか」に直結する。日本語は滅びない?滅びた言語使いはみんなそういう。教養としての日本語とは。ラテン語とは。文化へのアクセスとは。生存戦略してますか?Nature, Red in Tooth and Claw.もうちょっとちゃんと書きます。例に上げたような取り違えは英語でももちろんおきるが、「冠詞」の存在や、主語を明確にするという言語構造が話者の言動に及ぼす影響、「またいらしてくださいね」と言われて「またいったらヘイトされる」とかいうのがわけわからなくないです?あからさまな本音と建前とかやめましょう。もっとビジネスライクに進めましょう。実際、どっちがビジネスを回していくのに有利か。労働環境として快適か。結果はもう出てるじゃないですか。給料が変わるわけでもないのに、なにをそんなにシャチョーさんのために働いているんですか?あなたのように優秀な人材が。そもそもプログラミング言語はE言語なわけで。世界システムはE言語で回ってる。既に、北米版アニメの字幕を外せない(外す必要を感じない)若い層というのは出現している。貧困がE言語を推進する?

輪を完全に閉じるには


知識は力なり

 嘘の知識を与えれば人々の行動をコントロールすることもできる。私がオーストラリアに行って、心地よくて静かで、そして何の危険もないビーチを見つけたとしよう。そこに「有毒クラゲに注意」という看板を立てることもできる。この看板が与えるのは嘘の知識だ。しかしそれは他の客を寄せつけないので、私には有益なものとなる。
私たちは人の行動が信念に支配されていることがわかっている。たとえその信念が誤りであっても変わらない。そして他人に誤った信念を与えてその人の行動を操れるということも学習する。これはコミュニケーションの暗黒面である。

これが悪です。This is False.騙されている自覚すら与えずに、酷い場合には、騙されていると自覚させながら、搾取する。この世に不幸を振りまく知識です。Frankenstein; or, The Modern Prometheus. 封仙娘娘追宝録。Who Inside.お里Identityをカネやモノや経歴に託してる人間ヒトはこれを使ってきます。気をつけてね。Take Care.わたし?わたしは「わたし」だよ。You? You Have to Find Your Own.

Padmé, Anakin has turned to the Dark Side.

真実とは

 「科学が人類の偉業の高みだっていう結論にするかと思ってたけど」と英文学教授はおっしゃる。
 これはこれで図星である。私は科学が大好きだ。しかし他にも高みはたくさんある。

これはこれで図星である。わたしは日本が大好きだ。しかし他にも高みはたくさんある。What a Small World!

It's all about the mind!

 世界についての心的モデルを共有し、それを組み合わせてより良いモデルを創造するという能力は素晴らしいが、人にはそれ以上に素晴らしい能力がある。それは少数の非凡な才能をもった人々がかれらの経験を時を超えて伝える能力である。直接会えないにもかかわらず、後世へと経験を伝え、コミュニケーションの輪を閉じる能力――こんな素晴らしいことがあろうか。
And what work nobler than transplanting foreign Thought into the barren domestic soil; except indeed planting Thought of your own, which the fewest are privileged to do?

脚注

 神経科学者がベイジアンになるよりもずっと前に、ハンス=ゲオルグ・ガダマーが自身の解釈学(=理解の理論)を発展させる過程で「先入観」は名誉回復を果たした。彼によれば、先入観(あるいは予備知識)とは私たちを閉じ込めるものではなく、理解すべきものへと私たちを開放するものである。

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Be not the slave of Words: is not the Distant, the Dead, while I love it, and long for it, and mourn for it, Here, in the genuine sense, as truly as the floor I stand on? But that same WHERE, with its brother WHEN, are from the first the master-colors of our Dream-grotto; say rather, the Canvas (the warp and woof thereof) whereon all our Dreams and Life-visions are painted.


終章

父はウルトラセブン――現実感覚の再生

 かくして一般にある葬式の場面(P世界1)と、怪獣と戦うウルトラセブンが存在する世界(P世界2)とは、本来無縁であるはずのところ、矛盾をはらみながらも無理やり共存させられてしまう。次のやりとりは、離反するはずの二つの事態が強引に結び付けられている様子を克明に語っている。

エピローグ 私と脳と

脚注

(6) 利他主義の説明は進化生物学の大問題の一つである。自然選択説によれば動物は他者ではなく自己の生存と繁殖の機会が増大するよう行動すると予想される。これに対し、血縁選択という点から利他主義を説明したのは20世紀の生物学における大きな進歩だった。親族の世話をすれば自分が生き残れなくても自分の遺伝子は(少なくとも部分的には)生き残る可能性がある。ホールデーンは「私は二人の兄弟、八人の従兄弟のためなら命も投げ打つだろう」といった。では、なぜ私たちは見知らぬ他人も助けるのだろうか?
And for the holy maidens who feed the eternal flame, To save them from false Sextus, that wrought the deed of shame?
 なぜ人は笑うのか。パラレル・ワールドを比較対照するためには、必要な視点の距離を確保して中景のなかに作品世界を封じ込める必要があった。舞台の上に二つの仮構の世界が立ち現れ、どちらもリアルに見えるとき、新世紀の笑いの受け手たちは新しいアイデンティティーをそこに発見する。多重化したリアルのなかに非局在化しながらも、芸人のしたたかな演技にリアルの感触を得るとき、彼らは(そして私は)自分たちが属するパラレルな現実世界をそれ自体受容しうる可能性を実感する。「ロマンチックな虚偽」から脱却した現代人は、「ロマネスクな真実」に依存することもできないでいたが、秀逸なお笑い作品を通じてパラレルな真実をつかむのである。笑いとは自我の自由を明証し、自己発見の税びにつながる癒しの道程だったのだ。

ギフトカードのおはなし。秋葉原でパーツを買うところから始めてキーボードを叩きました。

How much lies in Laughter: the cipher-key, wherewith we decipher the whole man! Some men wear an everlasting barren simper; in the smile of others lies a cold glitter as of ice: the fewest are able to laugh, what can be called laughing, but only sniff and titter and snigger from the throat outwards; or at best, produce some whiffling husky cachinnation, as if they were laughing through wool: of none such comes good. The man who cannot laugh is not only fit for treasons, stratagems, and spoils; but his whole life is already a treason and a stratagem.


I was never right for the hero type of role
I admit it
With my heart shivering in fear
I can see today's reflected in each past tear

Even so, it has been calling the heavens to me
But I cannot hide all the emptiness inside my fleeting heart

Once in my dreams I rose and soared
No matter how I'm knocked around or beaten down
I will stand up, restored

All of my love has yet to wake
I know your strength is what I lack
You've got my back and know that I've got yours

I have you to thank for lighting up the dark

Because you're here with me
Our dreams will soar free
Forever

(I wanna always be with you
I give you everything I have)

ありがとう!そして、ありがとう!


スペシャルサンクス:的確な助言を下さったテスターの皆様。